コーダとしての体験と葛藤:聴覚障害の親を持つ子どもたちの声

耳の病気

コーダ(Coda)として、聴覚障害のある親を持つことは、特別な体験や感情を伴うことがあります。このような家庭で育つ中で直面する課題や苦労、そして思春期に感じた葛藤や心情について、実際の体験を基に詳しく解説します。

① 聴覚障害のあるのはお母様か、お父様か、その両方か

多くのコーダは、両親のいずれかが聴覚障害を持っている場合が多いです。片方だけでなく、両親が共に聴覚障害を持つ家庭もあります。どちらの親が聴覚障害を持つかにより、家の中でのコミュニケーション方法や育児のスタイルにも差が生まれることがあります。

② コーダであることで苦労したこと

コーダとして育つ中で最も苦労するのは、コミュニケーションの面です。聴覚に障害がある親と話すためには、手話や筆談を覚える必要があったり、親の代わりに電話をかけるなど、他の子どもたちが経験しないような責任を感じることがあります。

また、学校や社会生活で親が聴覚障害者であることを理解してもらうための苦労もあります。周囲にどう説明するか悩むこともあります。

③ 会話の手段

親との会話は、主に手話や筆談を通じて行います。手話が家庭内の共通言語となっている場合が多く、筆談を使うこともあります。また、コーダは親のために電話の応対をしたり、外出先でのコミュニケーションをサポートすることもあります。

そのため、他の子どもたちに比べて、非常に早い段階でコミュニケーションスキルを身につける必要がありますが、その分、語学力が早期に発展することもあります。

④ 物心が着いた頃、思春期の頃、親のことを否定してしまったことがあるか

思春期になると、自分と親の違いに強く気づき、親の聴覚障害に対して否定的な気持ちを抱くことがあるかもしれません。「なぜ私の親は聴覚障害を持っているのか」「他の家族のように普通でありたい」と思うこともあります。

しかし、その後、理解が深まるにつれて、親が直面してきた困難やその強さを尊重するようになり、否定的な感情は少なくなっていきます。

⑤「自分もろう者・難聴者であればよかったのに」と思ったことがあるか。それはなぜか

「自分もろう者・難聴者であればよかったのに」と思うことは、周囲との違いを強く感じた瞬間にあるかもしれません。聴覚障害を持つ親にとって、コミュニケーションを支援する立場である自分が、聴覚障害を持たないことに対して特別な責任や負担を感じることがあるからです。

このような気持ちは、親の世界にもっと近づきたい、あるいは親の苦労をもっと理解したいという純粋な思いから来るものかもしれません。

⑥ 今、後悔していること

後悔していることは、親に対して十分に感謝や理解を示せなかった時期があったことです。思春期の反抗期に、親の支援が必要なときに十分に助けてあげられなかったことを今でも悔やむことがあります。

また、もっと早い段階で親の障害について理解を深め、より積極的にサポートできていたらと思うこともあります。これらの経験は、他の人にも伝え、家族や親を理解することの大切さを伝える教訓になっています。

まとめ

コーダとして育った経験には、特有の苦労や葛藤が伴いますが、それが自分自身を成長させ、他者への理解を深める力にもなります。聴覚障害を持つ親との関係は、時間と共に深まっていきます。理解と尊重を学びながら、親との絆を強めることができるでしょう。

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